2013年1月アーカイブ

最近、啓蒙という言葉が啓発に置き換えられていることに気がついていますか?理由は、啓蒙は上から目線であり、先生から教えられる生徒を下に見ている。だから生徒が先生と同じ立場であるという、運動家の思想と合わないからです。よく使われる理由としては、役所が国民(市民)向けに啓蒙活動をする場合、税金泥棒である悪の権力の手下どもが地球市民さまを下に見るとはけしからんというのです。

では本当に啓蒙を啓発に置き換えるのは正しいのでしょうか?

確かに啓蒙という言葉には、昔の漢民族が蒙古人に対して行った差別が刻まれています。

蒙古人(蒙)のような卑しくて無知な人間を光で照らして(啓)あげるために学問や教養を教えてあげましょう。という意味もあります。

一般的には、  【人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。】です。

デジタル大辞泉

一方で、啓発は孔子の論語、述而第七の八を語源としております。

子曰、不憤不啓、不悱不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也。

子曰わく、憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三隅を以て反えらざれば、則ち復たせざるなり。

うみガエル訳: 脳みそが爆発しそうなくらい悩み苦しみ抜いて学びたいと言う気持ちがめらめらと燃えているもので無ければ何も教えることは無い、立ち去れ!自分が考え学んだことをどうしたら上手く説明できるかを魂の叫びとして発していないものには手助けもしないから去れ。

啓蒙も啓発も教育の本質です。

運動家の理由付けがおかしいとおもいます。自分たちは誰よりも偉いのだから同じ立場まで降りてきて教えろというのならむしろ啓蒙ではありませんか?日本の辞書も【啓発:人が気づかずにいるところを教え示して、より高い認識・理解に導くこと。(デジタル大辞泉) 】と書いてしまっているので前提条件が不明瞭ですが啓発というものを受けるには中世ヨーロッパや江戸末期の日本の学生のような気概が必要なのです。師を求めて旅に出るくらいの。

小学生対象の理科啓蒙のイベント

学童が私語をしている。講師は様々な工夫をして興味を持たしておもしろさを伝える。

小学生対象の理科啓発イベント

学童が私語をしている。講師「君たちは、まだ教えられる段階に無い。」。講師立ち去る。

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