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考え出すと他にもたくさんありそう

富士山には強風時に笠雲や吊し雲ができますが、下層大気との間に風速差や

密度差があると珍しい雲が現れます。まるでギリシャ文字のラムダ(λ)のような

恐竜ともうなだれた人間とも思える形です。イルカのひれにも似ている。

ネットスラングで言うところのトボトボ歩くさま。

富士山の周りをとぼとぼ歩く、かわゆい雲たちw。

Vortex by the Kelvin-Helmholtz instability in the cloud around Mount Fuji, Japan.

Movie speed: x4 of real
0:10 the waves had growing, left side of screen.
0:26 form the vortex
1:01 re-play the real speed (x1)
富士山笠雲とケルビン(ケルヴィン)・ヘルムホルツ不安定の渦 4倍速
vortex of Kelvin-Helmholtz instability in clouds with Lenticular Clouds

富士山の笠雲には様々な姿があって飽きません。

笠地蔵にかけたような傘とか笠の様なくも。

レンズ型だったりするつるし雲。

富士山は孤立した単独峰だから風がぶつかった後の流れも独特。

連邦のように筋状の峰を持つ波を起こすのではなく、スポット状の並みの峰を

つくる。この峰に雲ができると笠雲だったり吊し雲だったりする。

富士山上空に一個目の波の峰ができて水蒸気が現れて、笠雲っぽくなる。

また下流にはいくつか吊し雲や峰のような雲ができる。

私は、雲の子供だと読んでいる。

2014年の紅白歌合戦に企画参加したサザンオールスターズの桑田佳祐さんがヒトラーのチョビ髭を付けて登場した。これは現総理大臣安倍晋三さんを独裁者で、ある民族を大量虐殺し周辺国を侵略する人間だと非難しているのは明らかです。

日本国民は戦後60から70年にわたって戦争という手段を避け、韓国による竹島侵攻に関しても外交で当たりました。国民のコンセンサスとして侵略戦争はしない、国防ですら核ミサイルが落下しても座視すると言うことになっている。さらにヒトラーが合法的に独裁体制を築いたことも学習して平和が続くことを希求しているのが日本国民です。その事に注意を払って投票され安倍首相はつい先日、国民の審判を経ている。その首相を独裁者呼ばわりして言いがかりを付けるのは今流行のヘイトなんちゃら系が日本国民にぶつけられたと断言できる。だから不快でした。平和に関してのメッセージソングすなわちピースとハイライトは良い歌詞なのに、日本国民への最大の侮辱としてのチョビ髭パフォーマンスの後では心に響かなかった。

日本では桑田さんの今回のような差別的・ヘイト的なパフォーマンスでも放送できるし、国家権力によって抑圧されることもない。近隣の国では元首に都合の悪いことを記事にしたりすると刑事事件としての名誉毀損(民事ではない)など法律にないことでも理由にされて拘束されてしまう。その国のような環境で身の危険を顧みずに政府批判をするのはロックだと思うが、日本のようなぬるま湯・温室で自己満足の政府批判してもロックではないと感じた。

最近、啓蒙という言葉が啓発に置き換えられていることに気がついていますか?理由は、啓蒙は上から目線であり、先生から教えられる生徒を下に見ている。だから生徒が先生と同じ立場であるという、運動家の思想と合わないからです。よく使われる理由としては、役所が国民(市民)向けに啓蒙活動をする場合、税金泥棒である悪の権力の手下どもが地球市民さまを下に見るとはけしからんというのです。

では本当に啓蒙を啓発に置き換えるのは正しいのでしょうか?

確かに啓蒙という言葉には、昔の漢民族が蒙古人に対して行った差別が刻まれています。

蒙古人(蒙)のような卑しくて無知な人間を光で照らして(啓)あげるために学問や教養を教えてあげましょう。という意味もあります。

一般的には、  【人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。】です。

デジタル大辞泉

一方で、啓発は孔子の論語、述而第七の八を語源としております。

子曰、不憤不啓、不悱不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也。

子曰わく、憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三隅を以て反えらざれば、則ち復たせざるなり。

うみガエル訳: 脳みそが爆発しそうなくらい悩み苦しみ抜いて学びたいと言う気持ちがめらめらと燃えているもので無ければ何も教えることは無い、立ち去れ!自分が考え学んだことをどうしたら上手く説明できるかを魂の叫びとして発していないものには手助けもしないから去れ。

啓蒙も啓発も教育の本質です。

運動家の理由付けがおかしいとおもいます。自分たちは誰よりも偉いのだから同じ立場まで降りてきて教えろというのならむしろ啓蒙ではありませんか?日本の辞書も【啓発:人が気づかずにいるところを教え示して、より高い認識・理解に導くこと。(デジタル大辞泉) 】と書いてしまっているので前提条件が不明瞭ですが啓発というものを受けるには中世ヨーロッパや江戸末期の日本の学生のような気概が必要なのです。師を求めて旅に出るくらいの。

小学生対象の理科啓蒙のイベント

学童が私語をしている。講師は様々な工夫をして興味を持たしておもしろさを伝える。

小学生対象の理科啓発イベント

学童が私語をしている。講師「君たちは、まだ教えられる段階に無い。」。講師立ち去る。

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